榴岡小学校の学生は、和光神社東側の明神横丁を抜けて鉄砲町 方面へ帰って行きます。
和光神社の前には、鉄砲町の歴史が書かれた辻標があります。
「藩政時代、鉄砲足軽組が置かれたことに由来する町名で、総勢百 三十八の足軽が居住していたとの記録がある。城下の東口に位置 し、町内のうち元寺小路寄りの部分が開府後早い時期に開かれ、 のち寛文期までに東方に発展したとみられる。城下の外にあたる 原町との間には藩の米蔵があった。」